【2010年11月30日0:00に文章を全面改訂・追記しました。】
数日前に、愛知県のB級スポットとして五色園というところがテレビで紹介されていました。コンクリート製の人形がたくさんあって「パラダイス」的に面白そうなところだなぁと思って見ていたのですが、なんと私の住んでいるところからそんなに遠くないところにあると知ってびっくり。これは話のネタに行かないわけにはいかないでしょうと、さっそく今日行ってきました。
五色園というのは、大安寺というお寺の中の宗教公園のことのようで、思っていたよりもきちんと整備されたところでした。コンクリート製の人形がなければ、四季が楽しめる美しい普通の公園です。今の季節は紅葉が真っ赤に染まっていて本当に美しかったです。春は桜が楽しめそうですし、池には蓮がたくさん浮かんでいました。本堂の裏には立派な竹林もあって、のんびりと散策するにはとてもいいところです。ただ、思いがけないところに人の1.5倍はある大きさのコンクリート製の人形が突然現れる!という驚きに耐えられればの話ですけどね。
たくさん見物人がいればまだいいのですが、今日、カメラを持って人形を追いかけてまわっているのは私だけ。中には、山深く頂上のあたりまで登ってやっと出会える人形もあって、そこで私ひとりが複数の大きな人形に囲まれて写真を撮っていると、ポンと像に肩を叩かれたりするかも、なぁ?んて怖さもちょっとありました。
しかし、人形を探して歩き回っていると宝探しのような気分でけっこう楽しくて、2時半頃から閉園の5時までしっかりと楽しみました。ほぼすべて見たとは思ったのですが、帰宅してからマップや他の人の五色園に関するブログを読んでいたら、本堂近くにある「日野左衛門門前石枕」という逸話の人形を見るのを忘れてしまいました。これでまた行く口実ができました。五色園というのは、紅葉、桜、松、竹、梅の五色の風景を楽しめるという意味があるそうで、季節季節での美しさを楽しむのもいいかも知れません。
ただ、やはり不思議な場所に迷い込んでいるという感じはずっとあって、人によっては怖いと感じるかも知れません。現に、今回もネットにあった写真を見せて娘たちを一緒に行こうと誘ってみたのですが、写真を見るなり「怖いから嫌!」と拒否されましたから。でも、事前に思っていた「ふざけたパラダイス」的な感じではまったくなくて、真面目に親鸞聖人に関する逸話をコンクリート製人形で再現しているというもので、親鸞聖人のことを勉強するにはいいかも知れません。私は宗教的な話にはとんと疎い人間ですが、少なくとも人形で表現された逸話は覚えてしまいましたからね。そして、さらに興味がわいたのは、この広大な土地を持ち、コンクリートの人形の設置をしてしまう大安寺という宗教法人です。どういう人がこういう発想をしているのでしょうね。ここ最近のものではないので、ずっと以前から引き継がれていることなのかも知れませんが。
人形が怖いと感じない人は、子供が遊べる簡単な遊具もありますので、のんびりと子供連れで自然を楽しんだりするのにもいい場所だと思いますので、近くの方は一度訪れてみるとよいでしょう。
では、写真とともに園内の人形をご紹介しましょう。
入り口はまるで料金所で、マップには山門と書いてあるのですがとても山門には見えません。もちろん料金所のようですが無料でそのまま車で入ることができます。ほとんど人も車もやってくることはなく、入っていいのかなと思わせるような寂しい雰囲気です。車で入っていくと、目の前にすぐに異様な光景が飛び込んできます。何人かの人形が座っていらっしゃる光景です。さっそく車から降りて見学です。人形たちの脇には説明の看板が立ててあって、内容はかなり真面目な内容です。最初は、異様な視線の人形たちに近づくのもこわごわでしたが、説明を読むとちゃんとした逸話の場面に見えてくるから不思議なものです。この「月見の宴」については看板の写真を掲載しておきますので、読んでみてください。ほとんどすべての人形にこういう看板が設置してあります。
 五色園マップ |  山門(には見えない・・・どう見ても料金所) |
 説明の看板 |  「月見の宴」 |
 「月見の宴」 |  「月見の宴」 中央が幼き頃の親鸞聖人 |
ほとんど人も車も来ないので、人形の写真を撮っている自分にとても違和感を感じながらも、好奇心の方がまさってどんどん公園内を進みます。
「月見の宴」から少し行くと僧たちが座っている光景が右手にあらわれます。「信行両座」という逸話で、親鸞聖人が法然上人に許しを得て、門弟たちを「信不退」と「行不退」のどちらの考えでいるかを明らかにしたという場面だそうです。ひとり遅れて来た門弟も表現されています。ちなみに、「信不退」とは弥陀の本願を信じるだけで生涯信心を失わない不退転が得られると信じることを言い、「行不退」とは本願を信じてなお不退転を得るためには念仏の行を積まなければならないとする考えを言います。ほとんどの門弟は「行不退」に着座しましたが、後の聖覚、遅れて来た熊谷蓮生房、そして親鸞聖人、法然上人まで「信不退」の方に着座し、「行不退」の座を選んだ門弟たちは自らを恥じ後悔したそうです。こういう説明を聞くと、一見ふざけたようなこの人形たちが重い意味を持って存在しているような気になってくるでしょう。(なぁんて)
ちなみに、ここの人形は美しく塗装がし直してありました。ネットで以前の再塗装前の人形の表情と比べたのですが、再塗装後は表情が単調で滑稽な感じになっているように思います。肌や着物が艶有り塗料を使っているのもリアルさをなくしてしまっているようです。せっかく再塗装するのですから、できる限りリアルな表情を継続していってほしいものです。
 「信行両座」 |  「信行両座」 行の座 |
 「信行両座」 信の座 |  「信行両座」 熊谷蓮生房 |
先に進もうと車に戻ろうとしたところ、左手の山の中になにやら見えますので細い道を入ってみます。
いました、いました。ここは「赤山明神貴婦人解逅」という逸話の場面です。親鸞聖人が赤山禅院にお参りされた時に美しい女性(仏様の化身)があらわれ、女性に比叡山に一緒に参詣したいと言われ、親鸞聖人は比叡山は女性は入山できないと答えたところ、その女性は、女人を除いてはたして真実の悟りに達することができるでしょうかと嘆き、親鸞聖人に対して末世の女人に御仏の慈愛が届くようにお力添えをと「闇夜を照らす玉」を差し出した、そういう場面だそうです。うーーん、人形を見ると笑ってしまいそうですが、教えは奥深い。
 「赤山明神貴婦人解逅」 親鸞聖人と貴婦人 |  「赤山明神貴婦人解逅」 貴婦人 |
道に戻って車をさらに奥に進めると、右手に大きな池が見えてきます。そしてその向こうにまたあやしげな人形が見えます。
車を駐車場(空き地)に停めて、池のまわりの遊歩道を歩いていくと、大蛇と僧の人形が池のほとりにあります。「桜ヶ池大蛇入定の由来」いう逸話の場面で、肥後の国の光円阿門梨という僧が信頼できる弥勒菩薩の御出世に会うために長寿の大蛇に魂を入定したことに対して、法然上人はこれを嘆き、阿門梨の大蛇に他の教法を説かれに会いに来たという場面です。書いていて実は詳しくはよくわかりません。(^_^;)
 「桜ヶ池大蛇入定の由来」 |  「桜ヶ池大蛇入定の由来」 |
 「桜ヶ池大蛇入定の由来」 光円阿門梨(大蛇) |  「桜ヶ池大蛇入定の由来」 法然上人 |
池のまわりの由歩道をさらに奥に歩いていくと、先に何体かの人形が見えてきます。今度は普通の農民のようです。説明文を読むと、田植えに加わり念仏の楽しさを伝える親鸞聖人の姿だそうです。後方の山に、馬に乗った少年の人形もありますが、「お田植え」の逸話との関係はよくわかりません。
 「お田植え」 中央が親鸞聖人 |  「お田植え」 |
 「お田植え」 |  「お田植え」 |
さらに山奥に繋がる道があります。行先案内に「御流罪」と書いてあるので、何かあるのだろうと落ち葉で敷き詰められた山道を登っていくことにします。人気がない場所なのにさらに人気が無くなって寂しくなります。しかもどこまえ登ればいいのかもさっぱりわからず不安は高まるばかり。疲れて足にも力がはいらなくなってしまいそうになる寸前、やっと「御流罪」の人形たちがあらわれました。はっきり言って、苦労して登ってきたわりには地味な場面です。親鸞聖人35歳の時に住蓮房と安楽房が官女松虫と鈴虫を尼にしたことで後鳥羽上皇の怒りを買い流罪となり、この場面は赦免の勅使を迎えた時の場面のようです。親鸞聖人の一生が徐々に見えてきますね。(そんな気になります。(^_^;))
 「御流罪」へ続く山道 |  「御流罪」 |
池の遊歩道に戻り先に進むと右手に滝があらわれ、その上に「不動明尊」が見下ろして立っています。紅葉の中でなかなか厳かな感じです。
 「不動明尊」 |  「不動明尊」 |
池を一周して車の通れる道に戻って来ましたが、道に戻る手前で右手の方からまた数体の人形が私を呼んでいました。近づくと、「川越えの名号」と書いてあります。親鸞聖人が一泊の宿を借りた扇屋の妻に、川の反対側から空中に「南無阿弥陀仏」の文字を書くと、扇屋の妻の手元の紙にその文字が浮かび上がったという場面です。扇屋の妻の人形の上の紅葉がとても美しくて絵になります。
 「川越えの名号」 親鸞聖人 |  「川越えの名号」 扇屋の妻 |
「川越えの名号」を過ぎると、また山に上る道があります。ここまで来ると道があると行ってみないと気がすまない状態になってしまっています。でも、そこを登るとまともな仏様の「親子悲願仏」という大きな像があるだけでした。道をさらに進んで下っていくと、目の前に広大な墓地が現れます。変なスポットに迷い込んでいる感じの私でしたが、墓地を見ると普通のお寺の敷地内にいるのだという感覚が戻ってきました。
墓地の脇にある竹林沿いを進むと、向かい合った人形を発見です。このあたりは車道が脇を走っている場所ですので、今までのところよりは少し人の気配がするところです。
向かい合った人形は、「肉付きの面」という逸話の人形です。この逸話は、息子夫婦が念仏のために家を空けるのを気に入らない老婆が、鬼の面をかぶり二人を驚かそうとしたのですが、嫁を驚かせたところで鬼の面が取れなくなり、蓮如上人の念仏で面を取ってもらった時に顔の肉の一部が面にこびりついてしまったという話だそうです。嫁は驚いて逃げたというのですが、人形の嫁は驚いているというより、ハンドパワーで鬼退治しているように見えなくもありません。この人形も再塗装前は恐怖を感じている顔だったのですが、再塗装後は表情がちょっと滑稽に感じてしまいます。
 「肉付きの面」 |  「肉付きの面」 |
「肉付きの面」の先には、「鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度」という逸話の人形があります。「御流罪」の説明の中で出てきた官女、鈴虫松虫の登場です。この逸話は親鸞聖人が流罪となるきっかけとなった話になります。法然上人の弟子、住蓮と安楽の声明念仏の声に聞きほれた院御所女房の鈴虫と松虫が、髪を切り尼となったことに後鳥羽上皇が怒り、住蓮と安楽は死罪、法然、親鸞も流罪となったというお話の中の、鈴虫松虫が髪を切り仏門に入るという場面のようです。後方には4人の僧がたたずんでいます。ここの人形たちもきれいに塗装し直されていますが、頭や顔がピカピカで表情も単調でおもちゃっぽいです。
 「鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度」 |  「鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度」 |
 「鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度」 |  「鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度」 |
 「鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度」 |  「鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度」 |
ここで一度車に戻ります。その途中、池の中に小さな島があり、そこに縁結び弁財天女があります。いろんな人形を見てきていますので、これはとても普通に見えてしまいます。縁結びが必要な方は、ぜひ訪れてみてくださいませ。
 「縁結び弁財天女」 |  「縁結び弁財天女」 |
車に戻って本堂のほうに車を停めなおします。広い敷地ですので、車を忘れて歩き続けていると、車ははるか彼方ということになってしまいます。
本堂はとても新しく広くてきれいです。本堂の中は灯りが灯っていましたが、最後までお寺の関係者と思われる人とはひとりも会いませんでした。
 大安寺本堂入り口 |  大安寺本堂 |
車を本堂の後ろの高台の空き地に止めて、また人形探しをします。
本堂の真裏に、「夜盗耳四郎聞法の場」という逸話の人形がありました。放火、殺人、強盗をしていた耳四郎という男が法然上人の法話を縁の下で聞いて、自分の醜い心を顧みて教えのありがたさを知り、法然上人に救われる道を求めたということです。盗人仲間は、そんな耳四郎が気に入らず暗殺を試みたのですが、寝ている耳四郎を殺そうと刀を振り上げると寝ている耳四郎が金色の仏様に変わり、仲間は刀をすてその姿に手を合わせた、そんなお話です。その後、ふたりは法然上人の弟子になったということです。
狭い場所に、それらの場面が表現されています。
 「夜盗耳四郎聞法の場」 法然上人の御法話の場 |  「夜盗耳四郎聞法の場」 法然上人の御法話を聞く耳四郎 |
 「夜盗耳四郎聞法の場」 法然上人に救いを求める耳四郎 |  「夜盗耳四郎聞法の場」 殺されかけて仏様に変わる耳四郎 |
山奥に入っていく道に向けて、「箱根権現御饗応」という案内があったので、そちらに向かって進むことにします。この道がまた寂しい道なのです。両側が坂になっている尾根の上のような道で、両側に木が生えていますので周りはあまり見えませんし暗いです。どこまで歩けばたどり着くのかもわからず、もう戻ろうかと思う心と戦いながら歩いていると、先に大きな鳥居と何人かの後姿が見えます。
寂しい場所で人と出会った安堵感・・・はさすがに人形に対しては感じませんでしたが、やっと見つけたぞ!という満足感はかなり高まりました。しかも前にまわってみると、なかなか素晴らしい出来の人形たちです。鳥居も立派。よくもまぁ、人がたどり着くのにたいへんな山の上にこんなものを作ったものです。ただ、「箱根権現御饗応」の説明板はあるのですが、文字が消えていてさっぱり読めませんので、残念ながらこの立派な場面の逸話の内容はわかりませんでした。知っている方がいれば教えていただきたいものです。
写真を撮るために人形の前でカメラを構えたりしていましたが、よく考えると誰もいない山の中で、これだけの人形に囲まれているというのは、ちょっと怖いかもしれませんね。私は見つけて嬉しいのが先に立って、現場ではそういうことは思わなかったですけどね。いえ、実は爺の前で背を向けて写真を撮っているとき、肩を何かが触れたような気がしたといえばしたのですけどね。(嘘)
 「箱根権現御饗応」 |  「箱根権現御饗応」 |
 「箱根権現御饗応」 |  「箱根権現御饗応」 |
満足感いっぱいで、歩いてきた山道を戻りましたが、実はその先も道があってどこかに繋がっているんだろうと思いながら、車がはるか彼方になることを嫌って仕方なく戻りましたが、次に機会があれば反対側に降りて行ってみたいと思った私です。
車に戻って、本堂の裏を走り抜けて立派な竹林と真っ赤な紅葉の中を進むと、またまたいました、大勢の人たちが。もちろん人間ではなくてコンクリート製の人形たちですよ。
車を降りて看板を見ると「日吉丸矢作橋出世の緒」と書いてありますが、詳しい説明板が見当たりません。これはどういう逸話の場面なのでしょうか。ここまでいろいろと見てくると、そこが知りたくて仕方ありません。「箱根権現御饗応」とあわせてご存知の方、教えてくださいませ。m(__)m
写真を撮るために、人形たちの間に入っていきましたが、ここの人形たちの表情は豊かな感じがします。他の場所と違い、この場所は草が茂っていて雑然とした感じが残念でしたが、赤い橋とバックの紅葉の赤がそれを打ち消すくらいに美しくて人形たちを引き立てていました。
 「日吉丸矢作橋出世の緒」 |  「日吉丸矢作橋出世の緒」 |
 「日吉丸矢作橋出世の緒」 |  「日吉丸矢作橋出世の緒」 |
そろそろ日が傾いてきて暗くなりつつあります。急いで残りの人形を見つけることにします。ここからの道は、なにやら工事中で、大型トラックを入れるために山の一部を削ってあり、風情がなくなっています。お金がありそうなお寺なので、また何か作るのでしょうか。初めて訪れた私が言うのもなんなのですが、できれば自然をそのままに残しておいていただいて、非日常を楽しめる場所でいてほしいものだと思います。
工事車両がはいるために拡張された未舗装の道路を車で進むと、右手に突然人形があらわれました。「弁円悔悟」という逸話です。板敷山での待ち伏せに失敗した弁円が親鸞聖人の草庵に踏み込んだ時、弁円を包み込むような姿に弁円がひれ伏し涙したという場面です。そして弁円は、親鸞聖人の命を狙ったことを懺悔したということです。ひれ伏している弁円たちの顔に味がありますね。あとで紹介する板敷山に潜んでいた時の勇ましい表情とは別人のようです。
 「弁円悔悟」 中央が親鸞聖人 |  「弁円悔悟」 ひれ伏す弁円 |
まだ時間は少しありそうです。車でもう一度見ていないところを探して見ます。
まず見つけたのは、最初のほうで見た「赤山明神貴婦人解逅」のひとつ脇の道にある「身代わりの名号」という逸話の人形。時間がないので坂道を急いで駆け上がったので、着いたときには息があがってしまいました。この時、すでに4時半を過ぎていますので、山の中だともう薄暗いです。写真もストロボで撮影すると背後は真っ暗になりますので、ストロボ無しでスローシャッターでの撮影になります。
「身代わりの名号」の逸話は、邪険で仏法嫌いの男が法話に参詣する妻に暴力を振るうというので、親鸞聖人は妻が参詣しなくてもよいように名号を書き与え、妻は男に隠れてそれに礼拝していたのですが、男はそういう妻の隠れた行動に不信を持って妻を殺してしまい裏の竹やぶに埋めてしまいます。しかし、男が家に戻ると妻は普通に部屋にいて、裏の竹やぶを掘り起こすとそこには血に染まった真っ二つになった名号が出てきた、というお話です。そしてその後、男も仏法の力を知り念仏の信者になったということです。
 「身代わりの名号」 |  「身代わりの名号」 |
さて、もうほとんど時間はありません。人形がないか看板がないかを必死で探します。そして最後に見つけたのが、「弁円悔悟」の説明に書かれていた「板敷山弁円狙撃」の場面の人形です。
ここも細い道を登っていくわけですが、下は赤い落ち葉で敷き詰められて、なかなか風情があります。しかし、時間が時間なので、その風情を楽しむよりも人形探しを優先です。少し登ると民家のような建物の前に親鸞聖人がいらっしゃいました。これだけかなと思って山の上を見上げると、なんと六人の山伏が親鸞聖人を狙うべく潜んでいます。これもよく作ったなぁと思わせてくれるなかなかの光景です。
山伏の弁円は、親鸞聖人の教えに反感を持っていたところに、山の民が親鸞聖人の説法を聞き求める人々が激増し、弁円に祈祷を頼みに来るものが減少の一途をたどったことから、弁円は親鸞聖人に激怒し、武装した弟子35人を板敷山に潜伏させ親鸞聖人を殺害しようとしました。それがこの場面となります。しかし、念仏の声の方に行けば親鸞聖人の姿はなく、別の方から念仏が聞こえ何事も無く親鸞聖人は板敷山を通過していったということです。
親鸞聖人を殺害できなかった弁円は、草庵に乗り込むことになるのですが、それ以降は先に紹介した「弁円悔悟」に続くことになります。
 「板敷山弁円狙撃」 親鸞聖人 |  「板敷山弁円狙撃」 山伏たち |
 「板敷山弁円狙撃」 潜む山伏 |  「板敷山弁円狙撃」 潜む山伏 |
以上で、今日見た逸話と人形の紹介ですが、この人形たち、ひょっとしたら誰もいなくなった夜には、背筋を伸ばして動き回っているかもしれませんね。
どうですか?
親鸞聖人の勉強になりましたでしょうか?
いろんな意味で楽しい場所でした。