探偵ナイトスクープではありませんが、今日はコネタ集。
ただし、コネタと言っても、それぞれの内容が軽いというわけではありません。
コネタその1昨夜、妻の腕の中で子供のように泣きじゃくりました。
思う存分、不安と弱音をはき出しました。
そうしたら、今日はとっても元気になりました。
なんてこと、誰も信じませんね。フィクション、ハクション、大魔王。
コネタその2嫌な夢を見ました。
朝起きると髪の毛のほとんどが真っ白になっていました。
苦労しているのに真っ黒な私が悪いのですよね。
もっと苦労しろと言うのですね。
でも、苦労はしますが、毛を抜くことはご勘弁ください、髪様。
コネタその3指にかぶれができたので、即断即決で評判の女医さんの皮膚科に行ってきました。
ついでに別の気になっているところを診てもらったら、
「こっちは手術しましょう。それがあなたも安心、私も安心!」
蓄膿症の手術も、痔ろうの手術もこなした私、切ったり縫ったりは怖くはないですよ。
ないですけど、脅かさないでください。私、小心者なんですから。
これは、運がよかったのか、悪かったのか。
コネタその4「homo ludens ?遊戯人?」をはじめたら、以前にリンクしてくださっていたホームページからの訪問が多いです。リンクをはずさずにそのままにしてくださっているホームページが50近くもあったことに、かなり感激。
でも、内容が変わっていることに心痛みます。
皆様、申し訳ありません。
コネタその5「うつな人ほど強くなれる」という本が、私の机の上になぜかあります。
「うつ」になる人は、周囲の気持ちを感じることができるという繊細な性格だというのはわかります。でも、うつのままだと強くなれません。
うつとの戦いに勝った人は、そりゃ強くなれるというか強いです。
でも、普通のひとは、うつと共存し認め合うという形で治ることが多いのではないかな。
読む前から、ちょっと違うんでねぇかい、おまえさん?と思う私がいます。
だったらそんな本読むでない、というなかれ。
共鳴する本ばかり読んでいても、視野っちゅうもんは広がらねぇってもんだ。
コネタその6昨日は、ナゴヤドームでSMAPを見てきたんだとさ。
稲垣以外とは目があって、手を振ってくれたんだとさ。
こちらも手を振って、キムタクが顔を見て笑ってくれたんだとさ。
娘のことではありません。SMAPといや、今じゃ奥様キラーでしょ。
我が家にもキムタク似の旦那がいるというのに、やれやれ。
以上、コネタ集でした。
私のお気に入りのサイトに、
青春音楽館というところがあります。私の年代には懐かしい曲をMIDI音源で聴かせてくれます。
このサイト、音楽だけではなく、ひとつひとつの歌に館長さんのエッセイがついています。実はそれがよかったりします。
その中で、今日、こんな文章を見つけました。
振り返れば、卒業までのほんの数年の季節の流れの中で、人は人と別れて、いろんなものを失いつつ、またいろんなものを学び得ていくものなのです。
そしてまた人と出会い、人とふれあい、そして、人を信じ、人と愛し合うとともに、人に裏切られ、人を恨み、人を憎しみ、人と別れていく。
そして、また懲りずに人と出会い、人と別れ…、そんな繰り返しが、人生なのかもしれません。
しかし、人と別れるときに感じることは、そこで時間が一瞬、止まってしまうということです。
流れる季節のように、緩やかに流れていた時間(とき)が、止まってしまいます。
おなじ時間(とき)を過ごし、共有していたはずなのに、それがまったく錯覚だったようにも思えます。
それが恋人同士のときならば、なおさらです。
さて、失恋して失うものはなんなのでしょうか。
そうです、失うものは、恋でも、愛でも、まして、相手でもありません。
失うものは、次の相手に出会うまでの間の時間(とき)、失われた時間(とき)だと思います。
このことは、いくつかの恋を経てこそ、修得できる卒業単位なのかもしれません。 |
いくつになってもこういう文章が書けるというのは、なんかいいですね。こういう考え方のできる感性は私も失いたくないものです。
なぜか、ジーンとしてしまって涙が出てきましたよ。
そのページから流れてきている曲は、中島みゆきの「春なのに」。
もの悲しいメロディと詞です。
・・・・・・・★
今日は、疲れで身体が動きません。頭も心も沈んでいます。
だから、感情が過敏になって涙も出るのでしょう。
今夜は、眠りから覚めないのではと思うほど眠るかもしれません。
こういう男はかっこ悪いですな。
わかっているのです。
「男は気高く、そして潔く」
今、私が読んでいる、川北義則氏の「男の品格」のサブタイトルです。
そうありたいと思い、私のポータルサイト、
「homo ludens ~遊戯人~」を立ち上げました。あわせて、ハンドルネームを「遊戯人」に統一しました。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さえこそ動がるれ
(川北義則著「男の品格」より)
私の勤める会社の昇格時期は、毎年1月です。
そのためには、今の時期が誰を昇格させるかを選抜する時期となります。
私の勤める会社の技術系事務系社員の資格は、次のようになっています。
一般 → 係長級 → 課長級 → 次長級 → 部長級
部長級の上は役員、あるいは役員待遇となります。
これは資格であって、別に職位というものがあります。
スタッフ職ならば、
係長級=担当員、課長級=主担当員、次長級・部長級=主査
といい、マネージャー職ならば、
グループ長、室長、部長
という長が付くポストになり、これは資格によって就けるポストとそうでないポストがあります。
今日は夜遅くまでその昇格調整会議がありました。
1000人以上を擁する部署の調整を、私含めて5人がああしようこうしようと昇格対象者を絞っていくわけです。
実は、私はこういう作業が本当に好きではありません。
私は小さい頃からコンプレックスの塊であって、自分が人を評価するほどの人間だとは今も思えないところがあるのです。とはいえ、組織を運営するということは、人材をどう育成し評価していくかが重要なポイントですので、好きだ嫌いだと言っている場合ではないのですが。
こういう作業をすると、日頃から組織メンバーの仕事ぶりをよく見ておく必要があると痛感しますが、これだけ組織が大きくなるとそれも簡単なことではありません。これが全社になると何万人という社員になるのですから、気が遠くなります。それだけに、それぞれの機能ごとの組織運営を任された人間の力量が重要になるわけです。
ってな話は、早い話、愚痴です。
実のところ、かなり疲れてしまっています。
さすがに今日の朝は、会社に行くのがかなり辛かったですしね。
少し休みたいのですが、明日は役員との大事な会議がふたつあるし、翌日は今月末期限の依頼業務がいくつかたまっているし、金曜日は大卒新人がやってきます。来週はその新人教育の講師を頼まれています。
こんなこと書いているくらいならば、早く寝ましょう。
早く寝て気持ちよく目が覚めれば・・・
そう、楽しい仕事がまた始まるのです。
って、楽しくなんかないやい!
誰か、助けてけれー!
「いつまでも青く、枯れても青く」
このタイトルに託した思いのポイントは「青」。
青春の青、青二才の青、青い果実の青、尻が青いの青、などを頭に描いています。
私は、いくら年齢を重ねても、いつも何かを追い求めていたい。
私は、いくら年齢を重ねても、感動したり泣いたり怒ったりしたい。
私は、いくら年齢を重ねても、世の中に烏合しないでいたい。
私は、いくら年齢を重ねても、子供の輝く目と心を持っていたい。
そういう思いを表現したいと思ってタイトルを変更しました。
年齢を重ねるといろんなしがらみができて、それを守るためには妥協したり自分の考えを曲げないといけない時の方が多いです。そういう時は、仕方がないと思いながらも自分がとても嫌になります。ですから、私はこのブログではそういう嫌な自分を捨てたくて、違う自分を確認したくて、毎日毎日何かを書こうとしています。
自分が「青く」考えている内容、それを誰かに伝えたいのです。
でも・・・
本当は伝えたいことなんか無いんです。
伝える相手も誰かじゃないんです。
あなたに伝えたいのですよ、あなたに。
ここに来てくれているすべてのあなたに。
私がここに何かを書いていたら、私が元気でいると思ってくれる。
私がここに何かを書いていたら、あなたが少し元気になってくれる。
そう思えたら、私はいいのです。
だから、毎日毎日ここに何かを書くのです。
こんなこと書く自分、やっぱり「青い」んでしょうね。
・・・・・・・★
福岡で天国に旅立つ幼い三きょうだい。
親は、「生まれてきてくれてありがとう」としか言ってあげられない。
本当は、もっともっともっとたくさんの言葉を言ってあげられたはずなのに。
クルマは楽しいもの、便利なものであってほしい。
けっして、人を不幸にするものになってほしくはない。
今年の大きなトゲとなっていたイベントが無事に終了。
スタッフが準備を含めてよく動いてくれました。ギリギリまで問題は残っていたものの、ここまでできれば上出来、上出来の結果です。明日以降、これで文句を言ってくる人間がいたら、私がその人間の頭割ってノーミソ穿り出して床に投げつけて踏んづけてやります。
今日は、「妻とのこと」「読んだ本のこと」「24時間テレビのこと」、いろいろと書きたいことがあったのですが、どうも頭の中がうまく整理できません。いつもは30分以内でささっと書けるものが、今日は1時間かかっても、書いては消して書いては消してという状態です。
さすがにちょっと疲れているようです。
妻が髪の毛を切ったのも言われるまで気付かなかった私ですから。
明日からも、まだまだ忙しさは続きます。
こういう時は無理をせず、早めに心身を休めたいと思います。
ホームページとブログの整理のため、ブログのタイトルを変更しました。あわせてURLも変更となりましたので、お気に入りやブックマークの変更をお願いします。
<変更点>
・ブログタイトルを「いつまでも青く、枯れても青く」に変更。
・ブログのURLを変更。
・過去の日記、ブログの統合を中止。
(リンクから過去の日記、ブログを見る事ができます。)
これに伴い、過去のコメントは削除させていただきました。
今後ともよろしくお願い致します。
昨年末からずっと準備をしてきた仕事の初日が今日、無事終わりました。
今日の仕事は、この仕事を今年の初めから担当ということで進めてきた部下のスタッフをリーダーとし、上司の私がサブに回って進めました。
仕事というものは、その本人の評価となるようにうまく目立つようにしてあげないといけませんし、自分の進めてきた仕事は最後まで自分が責任者ということを意識させてあげないといけません。上司なんていうのは、部下の仕事がうまくいくように意識付けをすることが重要で、その他は困った時や失敗した時の盾になってあげればいいのです。
結果は、10社を超える業者を事前の調整どおりにうまく進めることができ、彼の今年の仕事にふさわしくスムーズに進めることができました。私が出る幕もなくよかった、よかったです。
ほっとしたのと、朝早くから夜遅くまでの仕事だったので、さすがに疲れました。こういう時は、いつもの「本屋でまったり」の時間を過ごしてから家に帰ります。いつもならば立ち読みですますところなのですが、今回はよほど疲れていて本に飢えていたのか、数冊買ってしまいました。しかも文庫ではなくハードカバーをです。
本をゆっくり読む時間なんてなかなか無いのですが、読みたくなる時は後先無く買ってしまいます。たいてい、そういう時に買った本は、読もうと思うまで長い間書棚に飾られたままになってしまうことが多いのですが。
でも、今は無性に本を読みたい時。
今読んでいて、もう少しで読み終えるのは、藤沢周の「雨月」。
鶯谷のラブホテル清掃係の物語です。官能、ホラー、サスペンスとの触れ込みですが、それほどのことはありません。が、人間模様という点では登場人物に個性があって、ついつい読み進めてしまう本です。
・・・・・・・★
今年の「24時間テレビ・愛は地球を救う」のテーマは「絆」。
絆にはいろいろあるけれども、親子の絆、夫婦の絆、家族の絆は誰も避けて通れない。
切りたくても切れない絆もあれば、切りたくなくても切れていく絆もある。
人間はそんな絆がなくては生きていけない。
生きていけないのですよ。
少なくとも私はね。
このブログを読んでいらっしゃる方々は、ロスプリモスを知らないでしょうね。食べ物でも、クルマでも、ホテルの名前でもありませんよ。正式には、「黒沢明とロスプリモス」というムード歌謡曲のグループです。もちろん黒沢明と言っても、世界のクロサワとは違います。
このロスプリモスの歌で私が好きなのは、「ラブユー東京」。
♪七色の虹が消えてしまったの
♪シャボン玉のような私の涙
と始まるこの歌は、私が小学生の頃からの鼻歌です。
♪あなただけがいきがいなの 忘れられない
♪ラブユー、ラブユー、涙の東京
うーん、今でも心に染みるいい歌です。2番はもっといい歌詞です。
地方に住んでいた私は、東京というところはどんな素敵なところなのかと憧れました。
次に好きなのは、「たそがれの銀座」。
♪ふたりだけのところを、誰かに見られ
♪うわさの花が、咲く銀座
♪一丁目の柳がため息ついて、二丁目の柳がささやいた
♪あなたの愛が、目を覚ます
♪銀座、銀座、銀座 銀座、銀座、銀座
♪たそがれの銀座
今度は銀座はどんなにロマンチックなところなのかと憧れて、小学生が「ぎんざ、ぎんざ、ぎんざ?」と心を馳せて歌っていましたよ。
赤の歌詞のところは、1番から順に、
♪一丁目の柳がため息ついて 二丁目の柳がささやいた
♪三丁目のサロンで待たせたままで 四丁目の彼氏にプロポーズ
♪五丁目のフユ子は小唄が上手 六丁目のナツ子はジャズが好き
♪七丁目の酒場でおぼえたお酒 八丁目のクラブで知った恋
と続きます。
これがまた、大人の物語を感じさせてくれて私の心を惹き付けました。
今日、この「たそがれの銀座」を夜の会社でついつい歌ってしまいました。
明日のイベントのために、ダンボール箱にスタッフと荷物を入れていたのですが、そのダンボールが一箱できるたびに、
「一丁目の柳がため息ついて」
二箱目ができると、
「二丁目の柳が屁をこいた」
ってな具合に、「一丁上がり」と「一丁目」をかけてついつい口から出てしまったのです。
でも、最後の頃には、
「いっちょめいっちょめ!ウワォ!」
となぜか、志村けんの「東村山音頭」になっていましたが。
あまりの忙しさにちょっと壊れ始めかけている私でした。
私がハイな気分で口数が多くなるのは、ちょいと危険ではあります。
明日からの土日は本番で忙しくなりそうです。
えーい!いっちょめいっちょめ!
何ヶ月も前のことなのに昨日のことのように楽しく思い出されること、たった数日前の楽しいことなのに何ヶ月も前のことのように遠く思えることがあります。
時の流れに速さなんかないはずなのに、人間の記憶はその速さをきちんと感じているようです。
この違いはなんなのでしょう。
最近少しわかったことがあります。
ある楽しいできごとを経験し、その楽しさをずっと感じていられたならば、その楽しい出来事はいつも時の流れの近くにあったことのように刻まれます。
ある楽しいできごとを経験し、その楽しさがすぐに別の楽しくないことに消されてしまったならば、その楽しい出来事は時の流れのずっと遠くにあったように追いやられます。
つまり、楽しい出来事を楽しく感じていられる時間が長いか短いかによって、その出来事の記憶での時間の距離が異なってくるようです。その出来事との記憶の距離と実際に過ぎた時間の長さの関係によって、人間は時の流れの速さを感じるのではないでしょうか。
これは悲しいことにもあてはまるような気がします。
楽しいことの記憶は出来る限り長く続くように、悲しいことの記憶は出来る限り短い時間で消すように、そういうふうにしていければ人間は楽なのになぁと思ってしまいます。
でも、それができないのが人間、そうならないのが人生ということなんでしょうね。
切ないものです。
今度の土日のイベントに向けて、私のスタッフは忙しい日々を送っています。なんとかメドはたってきましたが、スタッフが調整できない問題もいくつかはあって、そういう時は私が前面に出て調整しなければいけません。
今日は朝からスタッフの一人が、「どうしましょうか」と真っ青になって私に相談してきました。予定していた機器が土日までに間に合わないかもしれないというのです。こういう時には、スタッフの気持ちを気楽にしてあげるのが一番なので、「そんなことは私に任せればいい」と笑って聞いてあげ、最終的には私が関係部署に行って調整してきました。
そのようなことが、大きなこと小さなこと、私のもとにたくさんきます。すぐに手をうたないといけないこと、後回しでいいことをさばいてひとつひとつ指示を出したり自分が動いたりします。ここ数日はそういう繰り返しの毎日ですので、一日があっと言う間に過ぎていきます。充実感もけっこうあって自分でも生き生きしているような気がします。
それで救われているところがあるのです。
ふと頭に浮かぶことがあって、心がそちらに飛んでいきそうになることがあるのですが、それに流される時間も無いのでなんとか平常心でやっていけているところがあります。もしこんなに忙しくなかったら私はどんな醜態をさらしていたことやら。
余計なことを考えてしまう時間の多い夜は、夜更かしの私には珍しく早く寝るようにすることで、何も考えないということと翌日の仕事への鋭気を養うという一石二鳥を得ています。
土日のイベントが終わってからも、昇格調整、期央点検、後回しにしていた組織のいろんなビジョン作りとやるべき課題は尽きることがありません。そういう出来事に追われることと、流れる時間の量が増えていくことで、大切なものでも少しずつ少しずつ人間は忘れていくことができるのでしょう。
昨日の血圧の定期健診では、久しぶりに良くない結果となりました。落ち着いていると思っていたのに上が150で下が95。一時、上は200を超え下は100を越えていた時期に比べると、「いい結果じゃん」と私は思うのですが、医師や人に言わせると「何をバカなことを言っている」ということになるみたいです。これもなんとなく原因はわからないでもないので、今は仕方がないと思っています。
私は今、いろんな意味で元に戻ろうと頑張っています。
本日の記事にはお聞き苦しい単語が含まれています。
あらかじめお断りするとともに、充分ご注意下さい。
男にとってトイレの個室は「う○こ」をする場所です。最近は小の時も個室を使う軟弱男が増えてきているそうですが、私は「う○こ」をする時以外は使いません。ただ、「う○こ」をする回数が人より多いということは秘密です。
時折、「う○こ」をするつもりでトイレの個室に入ったのに、「う○こ」が出なくてついでにちょっと携帯電話のメールをチェックしたり、本当にごく稀に簡単なメールを送ったりするという使い方もしないではありません。
今日もそういう使い方をしていました。
トイレの個室に入って便器に座って携帯電話のメールをチェックしていたわけです。見終わって、さて出ようと思ってペーパーでお尻を拭きました。そしたら、なんと!ペーパーに「う○こ」がついていたのですよ!!!!
『「う○こ」したのだからあたりまえだろ』って?
それは違うんです。
「う○こ」をした時にはペーパーで拭く前にちゃんとシャワーで洗い流すでしょ。その時は洗い流さなかったのです。つまり、私はその時、「う○こ」をした事を完全に失念してしまっていたのです。携帯電話をいじっていたがために、「う○こ」は出なかったものだと思い込んでいたのです。
ですから私は、シャワーで洗い流さないで形式的にペーパーでお尻を拭き、おまけにそのペーパーでお尻周りをベタベタ拭いちゃったわけですよ。
聡明で賢明な皆さんはもうおわかりいただけましたね。
私のお尻は「う○こ」の出口付近(谷間)だけではなく、ほっぺ部分(丘陵)も「う○こ」まみれとなったわけです。しかも悪いことにその時はお腹の調子がイマイチで「う○こ」の切れも悪く、お尻にはかなりの「ビチビチう○こ」が残っておりましたわけですよ。
思わずその時に私が叫んだ言葉、それが「くそぉ!」だったわけです。
私はこの歳になって思いました。
トイレの個室では、ちゃんと「う○こ」することに専念しようと。
今日は久しぶりに大勢の人の前で話をしました。大勢の人といっても、私が総括を務める部署のメンバーなので、気分はかなり楽なものです。
大きな300人くらいは入ることができる講堂で、説明30分質疑30分を連続して2回行いました。合計2時間という長い時間でしたが、それほどの疲れも無く、説明自体も充分目的を果たすことができるものでした。
やっぱり大勢の人の前で楽しく話せるというのは気持ちがいいです。一時、身体をこわしていた時は、目下の人の前であっても喋ることにすごい抵抗があったものですが、今日のように人前で喋ることに緊張もせず楽しさを感じることができているというのは、かなり精神的に良い状態なのかなと思います。
人前で話をするということは、話をする内容を自分のものにしていて、内容をしっかりと理解できていて、それを自分の言葉で話せるのであれば、たとえ大勢の前でも緊張もせずに自信を持って話せるものなのです。それでも一時は出来なかったというのは、精神的に不安定で弱くなっていたのだと思います。その頃は、何事にも消極的でモチベーションも下がっていましたが、今回のように抵抗も無くできるというのはふてぶてしかった頃の自分に戻れるのではないかと期待したりします。
仕事が楽しいと思うようになり、会社に長くいることも苦痛でなくなり、いくら身体を動かしていても疲れなど感じなくなり、このまま以前のような元気だった頃の自分が取り戻せると嬉しいのですけどね。
そうは思っても、まだまだ無理は禁物。
明日は、2ヶ月に1回の血圧の定期診療日ですからね。
なんとか、血圧もいい状態で落ち着いてくれればと思います。
首が右の方向に回りません。
左へもちょっと回りにくいです。
数日前から、首を回そうとすると左の首筋から肩にかけて痛みがひどくていけません。クルマを運転している時も、バックしようとして後ろを向こうとしたら、
「痛てっ!」
ということになってしまいます。
スムーズに後ろを見ることができないのです。
どうしたのでしょうかね・・・。
寝ているときの姿勢が良くなかったのか、無意識に変な姿勢をとっていたのか、はたまた、何か悪いことして横ビンタくらわされたのか。
こういうのは、今までの経験から医者にかからずとも時間が治してくれるものだとわかっているのですが、いつ治るのかはその時その時で違うので困ります。今回はどれくらいで治るのでしょうか。
今の私は、後ろなんか振り向かずに前だけを見て進めばいいのだ、という天の啓示なのかもしれません。もしそうならば、治るまでにちょっと時間がかかるかも知れません。
今夜は、寝る前のシャワーのあと、奥さんに首と肩をマッサージしてもらいましょう。それが早く治る一番の近道のように思います。
と思って、奥さんに頼もうと後ろを振り返ったら、
「痛て、痛て、痛てぇ?!!!!」
私の会社の夏期連休は明日までなのですが、私は明日から仕事があるので、今日が夏期連休最後の日となります。来週土日も出勤なので、13日連続出勤となるのです。
そんな連休最後の日、末娘の自転車の練習に付き合いました。
昨年の11月に買ってあげたものの、私が忙しくてなかなか時間をとってあげられずに、本当にたまにしか練習に付き合ってあげられていません。そういう後ろめたさと、連休最後の日ということと、ここ数日私が少し元気がなかったということで、今日は楽しく末娘と過ごそうと思ったのです。
練習場は近くの公園。補助輪を少し上にあげた状態に直して末娘に対しては少しチャレンジです。最初はペダルをこぐ力が弱かったのですが、慣れてくるとけっこう軽快に走ります。カーブでは補助輪が邪魔な感じになりますが、取り外すにはまだ基本動作を身体で覚えさせる必要がありそうです。
昨日は、娘の明太子彼氏とプールで遊んでもらって、今日は父親と自転車で遊んでもらって、楽しい数日だったようです。
夜に上のふたりの娘が末娘に、
「そういや夏休みの宿題どうなってるの?」
「あのね、宿題は9月1日までじゃないよ。最後の出校日に持っていくんだよ。」
と末娘に矢継ぎ早に問いかけています。
次の出校日を尋ねたら25日だと言います。
あらら、あと一週間も無いのに、遊んでばかりののんびり娘。
これも夏が終わる前のひとつの風物詩でもあります。
「おとうさんは仕事で手伝えないので、上の娘たち、よろしく頼む!」
・・・・・・・★
昨日の夜、私のパソコン(自作機)のメインハードディスクを交換しました。この際ですので、動作が遅いハードディスクはすべて引退させて、今までの5基560GBから、4基640GBの構成にしました。
結果はアクセスは軽快になりましたが、完全に復調とまではいかないです。様子をみて何が悪いかを判断しないといけません。
日常使う機械の不調は精神衛生上、非常によくありません。
夏の終りとともに消えるもの。
蝉の声、プールのざわめき、焼けるような日差し、花火、積乱雲、高校野球、夏休み・・・
他にも夏の終りにあわせていろんなことが終わる。
ずっと続くと思っていたことも、この暑さとともに切なく終わる。
感傷にふける間もなく、秋が来て冬が来る。
次のやるべきこと、自分の役割は途切れることはない。
人生とはこんなもの。
だから人生は悲しくも楽しい。
前に向かって、次に向かって歩くしかない。
先日も書きましたが、私は親子関係などでいろんなことを背負っています。自分の親に対してもいろいろと辛い出来事があり、自分の子供たちに対しても今思えば取り返しのつかない言動や行動をして、子供たちの心に大きな影響を与えたかも知れません。
私は不出来な男であり夫であり父親であって、自分の仕事の辛さを理由に、家族に感情であたりひどい事を言ってしまったり、ひどいときには妻に手をあげたこともあります。
その原因は、自分中心のものの考え方と、自分への甘さ。
今ならわかることですが、自分が辛いときには相手への影響など考えずにそういう自分勝手なところを出してしまっていました。
最初は子供たちは勉強もよくできて、楽しく学校に行っていたのに、いつの間にかいじめとか先生への不満を理由に、学校に行かなくなりました。それは、私がそういう態度を露骨に出すようになった頃と符合します。具体的には、家をあたらしく建て替えた頃、自分の昇格がかかって大変だった頃、そういう頃です。その結果、子供たちは普通の子供たちとは少し違う道を歩むことになってしまいました。
一度、親が子供に言ってしまった言動や行動は、そんなに深い意味をもって言ったわけではないのに、子供には心の奥深くに強く残ります。今も子供たちはそういう私の部分に嫌悪感を持ったり臆病になったりしています。それだけを見るとひどい親です。そう思われて当然です。
しかし、同じ年頃の子供達が悲しい事故や事件にあうニュースを見ると、自分の子供に重ねてしまいひどく胸が痛むのです。また、親というものは子供のためには死ねると言いますが、それは言い過ぎでも嘘でもありません。とっさの場合には、私は必ず子供をかばう行動ができると言い切る自信があります。
それなのに、自分の言動や行動のせいで子供の人生を変えてしまったかも知れないと思う後悔。そんなこと子供には面と向かって言いませんが、その事はいつも重く背中にのしかかります。一生、私は子供にどう思われてもかまわないのですが、子供たちの人生が幸せであるようにだけは、強く強く願います。
親子関係だけではなくいろんな関係も含めて、みんな多かれ少なかれ、そういう辛いものを背負って生きています。背負わせてしまったほうも、背負わされたほうも。
ただ言えることは、自分が幸せになることが、それを背負わせた人の荷物を軽減させるということ。その結果自分の背負ったものも軽くなると思いたいです。
重き荷物を背負う人たちへ。
君たちは他人の心がわかる選ばれし人。
荷物の中には辛い言葉や後悔がつまっているけど、
それは、あなたがそれをわかる人間になってほしいと授けられたもの。
きっといつかそれがふっと軽くなるときが来る。必ず来る。
今日は久しぶりに妻とふたりで、映画「日本沈没」を観てきました。
たまには妻と二人で映画もいいものです。ただ、前回の「いま、会いにゆきます」の時もそうでしたが、そういう時に限って私の心は乱れに乱れている時で、妻には申し訳ない時期にあたっています。今度は穏やかな気分の時に、一緒に感動で泣ける映画を観たいと思います。
日本沈没 2006年8月16日(水)MOVEX三好
「日本沈没」と言えば、私は1973年公開版も劇場で観ています。1973年というと計算すると高校生になったばかり頃ですが、彼女と観たというのではなくて男何人かで観たという記憶があります。さすがに詳しい内容は忘れてしまっています。小野寺役の藤岡弘、玲子役のいしだあゆみが何となく記憶があり、ラストはふたりの場面だったように覚えていますが、ストーリ上ありえないのかも知れません。よく覚えていません。
2006年版は、小野寺役が草剛、玲子役が柴咲コウ。田所はなんと豊川悦司(1973年版は小林桂樹)です。彼らが中心でストーリは流れます。
妻は、人の死がかかわる悲しい場面で涙を流していましたが、私は、話のスケールが大きいので人の死があっけなく流れてしまうことと、大きなストーリと個人に落ちるストーリのつながりの違和感に戸惑ってしまって、どうもそういうところでは感情移入ができませんでした。
この映画は泣かせ映画ではありませんが、私が唯一感動し泣ける場面だったのは、大地真央扮する危機管理担当大臣が、沈没を回避できたことを自ら演説するように関係者に促される場面と、その演説の中で小野寺と結城の死に追悼を表す場面。ここはさすがにうるっと来ました。
迫力あるリアルな映像、愛する人を救うために自らを犠牲にする愛、それは充分楽しめて感じることができる映画だと思います。作品としてみた場合は、もう少しいろんな意味での「重厚さ」があればよかったかなというのが私の感想です。
久しぶりに日記が一日抜けました。
だからと言ってパソコンがお亡くなりになったというわけではありません。
今朝、目覚めるとテレビのニュースで小泉総理の靖国参拝が報じられていました。予想されていたことでもあるので淡々と見ていたのですが、気になったのはテレビカメラにうつる本降りの雨。夏休みを利用して東京に遊びにきていた私は、その雨の方がなんとなく気になってしまいました。
別に自分の信念であれば靖国参拝をすることは悪いことではないです。その方が、この国の世界に対する平和を願う気持ちを高めることや、国内を豊かにする経済活動の発展に役立つと判断されたのでしょう。今後の大きな経済圏である中国、同じ政治経済の思想を持つ韓国、これらの隣国とうまく行動していくための大所高所の決断なのでしょう。一国の代表が判断し行動したことですから。
この国は過去の戦争でたくさんの事を学びました。過去の戦争で兵士となって亡くなった人々、逃げ惑って犠牲となった一般の人々、そういう方々を追悼するということは、「二度とそういう悲劇を起こさないためのこの国とこの国の国民の行動」がどういうものなのかを考え、それを大きな力にしていくことだと思います。
言葉で「平和を祈って参拝する」と言うのは簡単です。ただ、私は亡くなった方々に手を合わし参拝することが平和を祈ることであるとは思えないのです。この日本の平和をどうしたら維持していけるのか、この平和な暮らしをいかにしたら世界に広げていけるのか、そのためにやるべきことを一年の中できちんと考える日、それが終戦記念日だと思いたいのです。今年はそういう議論も少なく、閣僚の靖国参拝のみが大きな話題となっていたのは、少し残念です。
原爆記念日に続く暑い夏の考える日が過ぎようとしています。
雨の上がった新宿の街で蝉の鳴き声を聞きました。
まだ夏の姿は残っていますが、今年の夏ももう終りです。
「ヘンな音が聞こえる」と言っても、女性のすすり泣く声が聞こえるとか、男のうめき声が聞こえてくるとか、皿を数えていて一枚足りないという恨めしい声が聞こえてくるとか、そういう今の季節に似合う話ではありません。あしからず。
数日前から、パソコンからヘンな音が聞こえるようになったのです。カチャカチャカチャというけっこう大きな音なのですが、たまに聞こえてきてしばらくするとおさまります。
パソコンのパーツの中で、カチャカチャカチャという音がしそうなのは、DVD・CD-ROMドライブかハードディスクドライブ(HDD)くらいしか思い浮かびません。音が出るのはDVD・CD-ROMドライブは使用していない時なので、HDDがもっともあやしいです。さっそく大事になる前にパソコンのチェックを行いました。こういう時に自作パソコンだと、HDDをどういうのをどこに接続しているかがわかっているので、チェックすべきことが明確でよいです。
まず、電源をUPSからとっており電源容量が不足して不安定ということも考えられますので、ディスプレイの電源を別電源にして電源の安定化をはかりました。
次は、ハードディスクのディスクチェック。全部で5基搭載していますのですべてチェックします。さらに、フリーソフト「HDDlife」をインストールしてHDDの状態をチェックしておきます。
とりあえず、チェックでの問題はなくそれ以降音は出ていませんが、ファイルシステムの動きがおかしなところもあるので(ごくたまにCPU使用が100%になって操作ができなくなる)、念のためにメインHDD(システムディスク)をこの休みに交換するふんぎりをつけました。何しろ、メインHDDは40GB・ATA100という、アクセススピードにちょっと問題があるものを使っているものですから。
パソコンはおかしいと思ったら、早め早めに対策を行っておかないと、突然とんでもないことになります。さりとて、調子がよければできる限りさわらないというのもトラブル回避の鉄則。
こういう難しいバランスの判断を要することは、人生至る所にありますね。
夏期連休にはいりましたので、私の親元へ家族全員で今年初めての帰省をしました。通常ならば高速道路を飛ばせば1時間程度で実家に着くのですが、さすがにお盆休みの初日、しっかりと渋滞で倍の時間がかかってしまいました。
今年初めての帰省というのは充分すぎるほどの理由があって、今回は何度も母から電話があったので決断をしたものなのですが、実のところ、帰省は気が重いものとなっているのです。最初は穏やかな時間を過ごすことができたのですが、案の定、最後には少しばかりのいざこざを残しての帰路となってしまいました。今まではそういう事があると、悔しさからくる怒りが感情の表面に出てしまうことが多かったのですが、今回は情けなく寂しく孤独な思いでいっぱいになりました。
そういう私の気持ちを理解し、優しい言葉と態度で私に接してくれた妻と娘には今日は本当に感謝です。そのおかげで、今はなんとか平常心に戻っています。
ただ、こういうことを繰り返している限り、いつか私は大きな後悔をするのでしょう。それはわかっているのですが、やはり自分をわかってほしいという気持ちは捨てきれません。本当は自分のそういう気持ちは抑え込んで、相手を安心させてあげるということを一番に考えるのが正解なのでしょう。
親の前にいくと自分はいくつになっても、幼稚な人間になってしまいます。情けないことです。情けないことなのですがそれが私なのです。
ここのところ、自分のグループのチームワークに感謝することが多いです。
大きな仕事を今月末に控えて、私のこだわる思いを形にしてくれている仲間たちを頼もしく思えます。まだまだ私からみると非効率だし、担当者ベースの仕事の進め方しかできていない部分が多くて、毎日イライラの連続という部分もあるのですが、それをカバーするだけの前向きさと明るさは本当に価値あるものだと思います。
私の勤める会社は明日から9日の夏期連休に入るのですが、私の示した今日までの目標に対して、夜遅くまで頑張ってくれたりしてなんとか想定していた以上のところまで持っていくことができました。残念ながら、9連休をすべて休ませてあげられるところまでには持っていけずに、結局休みにも仕事をしなくてはいけないことにはなりましたが、みんなが自発的に「休みにやりましょう」と言ってくれたことはとても嬉しかったです。できればそういうことがないようにきちんと私がカバーできればよかったのですが、私も力足らずの部分が多くてドタバタのマネージメントになってしまった部分は真摯に反省したいと思います。
若い頃は自分の力で人を動かしているから仕事ができるんだという考えが前面に出ていましたが、今は人が仕事をしてくれるから自分がいるのだと思えるように変わってきました。
たぶん自分が弱くなったり自信がなくなってきている部分があるのでしょうが、なぜか今の方が充実感があったりします。
チームワーク。
あまり好きではなかったことばですが、今はとても誇りに感じることばです。
私の下腿三頭筋はまったく根性がありません。
今朝、目覚めてベッドで伸びをしたら、左足の下腿三頭筋がつりました。すぐに膝を伸ばして足の親指を持って手前にぐっと引いて事無きを得ましたが、下腿三頭筋の痛みはなかなか取れなくて、今もふくらはぎを掴むと痛いです。
私は、自慢ではありませんが2年前に両足の下腿三頭筋同士を剥がしてしまっています。数ヶ月の間をおいて、坂を登ろうとして片足ずつやってしまって、その間は痛くて普通に歩けなくて踵から地面に下ろすような歩き方をしていました。(人からはペンギン歩きと笑われておましたが)
下腿三頭筋は膝からアキレス腱までにひとつあり、それに膝からぶら下がるようにふたつの下腿三頭筋が貼り付いています。その貼り付いているふたつの下腿三頭筋がふくらはぎにあたる部分になります。下腿三頭筋同士が剥がれるというのは、ふたつの貼り付いている下腿三頭筋がもうひとつの下腿三頭筋から剥がれるということだそうです。もちろんすべて剥がれるというわけではなく、下の部分だけが剥がれるということらしいですが。
筋肉が剥がれるので、皮膚の中でかなり出血していて、その血がアキレス腱の方に降りてきて踵が真っ青になります。もちろん医者には行きましたが、何の治療法もなく治るのをただ待つだけでした。しかも、「坂を片足で登ろうとしただけでなぜこんなことになるのですか?」と医者に聞いたら、
「ああ、年ですからね」
とひとこと。
そんな下腿三頭筋ですので、今朝のようにすぐにつったりしてしまいますし、ちょっと歩いたり運動をするとふくらはぎがパンパンになってしまいます。ましてや、片足で無理に坂を登るような行為などは絶対にしてはいけません。
ただ、この下腿三頭筋、問題はよく起こすのですが、手が届きやすいですし、活躍を感じる存在感もけっこうありますし、なんだかんだ言いながらも愛おしい存在です。根性は無くても愛嬌があるというのでしょうか・・・。
今も痛みの残る下腿三頭筋を優しくなでながら、
「年になんか負けるなよ」
と声をかけてみたりする私です。
61年目の原爆記念日。8月6日の広島、そして今日の長崎と今年も原爆、戦争、そういうことを考える日の第一弾が終わりました。きれいごとを言うつもりはありませんが、核兵器だけではなく、人殺しを正当化する戦争はこの世からなくなってほしいと心から思います。
もし、何かのきっかけで外国の人と話をすることがあった場合、卑屈にならずに傲慢にならずに、世界で唯一の原爆の被爆体験をもった国の国民として、原爆という人殺しの道具の悲惨さを訴えることができればいいなと思います。原爆がどういう爆弾かを知らない人々に、その被爆地の惨状を伝えるだけでもいいと思います。
ご存知と思いますが、原子爆弾は、地上に落ちて爆発するものではなく、地上約500メートルから600メートルのところで一瞬のうちに核分裂の連鎖反応が起こり、その時点から放射線が放出され、そのあと、火球となり高温の紫外線、可視光線、赤外線(熱線)が大量に放出され、それらで何人もの人が焼き尽くされるのです。地上に落下後ではなく上空で爆発するということは、この熱線が広範囲へ影響を与えるという意味を持っています。この反応はほんの1秒以内の出来事です。同時にその高温で上昇気流が発生し、空には巨大なきのこ雲が出現するのです。
原爆がこのように数多くの人間を一瞬にして無にしてしまう兵器であり、生き残った人々にもその後苦しい人生を歩ませる後遺症を残す非人間的な兵器(兵器に人間的も非人間的もないですが)であることは、世界的にはあまり知られてはいません。この爆弾を投下した国でさえその認識は低いと思います。
今年初めて知ったこともあります。
広島と長崎は別の地で起きた別の惨劇と思っていました。ところが、この両方の地で被爆した方が100人以上もいらっしゃるということです。「二重被爆」というらしいのですが、そういう方々にとっては、広島も長崎も同じ被爆地であり同じ地獄だったわけです。
私もまだまだ勉強不足です。
この時期に広島を訪れたいといつも思うのですが、なかなか実現できていません。暑い夏、セミの声を聞きながら、原爆が投下された青い空を眺めてその時に思いを馳せたいと思っているのですが。
外国の方とこういう話題になることは稀だとは思いますが、こういう話をできるのは私は日本人の特権であるのかなと思っています。その時のために最低限の歴史の事実は知っておきたいです。最近はスカイプで気楽に海外の方と話をする機会も多くなってきましたし。
・・・・・・・★
覚書メモ
<広島> 爆心地:広島市中区中島町 現在までの死者:約24万人 原爆名:リトルボーイ 投下機:エノラ・ゲイ 炸裂時刻:8月6日8時11分 核物質:ウラニウム(13キロトン) | <長崎> 爆心地:長崎市松山町 現在までの死者:約13.5万人 原爆名:ファットマン 投下機:ボックスカー 炸裂時刻:8月9日11時2分 核物質:プルトニウム(21キロトン) |
あの5000人以上もの犠牲者を出した伊勢湾台風の時、私は1歳8ヶ月でした。定かな記憶はないのですが、一面水で覆われた家の庭で楽しそう(?)に遊んでいる写真が残っています。
こんなことを言うと顰蹙を買うかもしれませんが、私は台風が近づいてくるとワクワクする人間なのです。もちろん被害を受けたり犠牲者が出たりすることを望んでいるのではありません。台風の夜は、灯りのつかない部屋で家族が集まって、ひとつの蝋燭の火を見つめて寄り添っていた記憶があるのです。強い風は家を壊すのではないかという音を、大雨はいつもひどい雨漏りを招きます。そういう中、父親は家を守ろうとし、母親は子供達を守ろうとする。そんな緊張感漂う夜が好きでした。
ですから、台風は来ることの不安はあるのですが、今でも台風が来ると、家族が嵐が過ぎるまで台風情報を聞きながら肩を寄せ合うという、そんな雰囲気を期待してワクワクしてしまうのです。
今夜から明日にかけて台風7号が日本に接近します。最初は私の住む地域に直撃かと思っていましたが、現在は進路を東にかえて関東の方に向かう気配をみせています。この台風のせいか、今日の夕方の空は不気味とも思える黄色あるいはオレンジ色の空だったそうです。自然の力は、まったく人間なんか寄せ付けない意外さと大胆さがあります。進路にあたる地域の皆様は、くれぐれも自然を甘く見ずに充分注意していただきたいと思います。
そういえば、この台風7号は「マリア」と言います。アジアの台風の名前なのに米国の言葉があるというのもなにか面白いというかヘンな気がします。その7号は米国の方向に向かい、ベトナム語の8号とカンボジア語の9号は西へ向かっているというのも偶然なのでしょうか。
話はまったくそれますが、「マリア」と言えば、私はブルーコメッツの「マリアの泉」が小学生の頃大好きで、
♪果てない旅をあきらめーて、さまよう町の夕暮れに♪
♪泉はふかーく 水をたたえてー 青ざめたぼくをうーつしてた♪
♪ふるーい泉よ、おまえにぼくの、つらい心がわーかるのか♪
なんて口ずさんでいました。
ませたガキだったんですね。
今週は忙しいのです。
私の勤める会社は今週が終わると、9日間の夏期連休にはいります。
それまでにやっておかないといけないことが山ほど。
私も部下も連休に一度や二度は会社に出る事を覚悟はしているものの、できればそんなことしたくもないし、させたくもないので、できれば今週末期限で自分達に課した課題はすべて解決しておきたいのです。
私は、そんな忙しい日は、帰りに書店に寄る事が多いです。
仕事モードの頭をくつろぎモードの頭にスイッチングさせるのには、書店でぼんやりと好きな本を手に取り読んで眺めて時間を過ごすのが一番です。
今日もそうしてエネルギーを補給してきました。
とにかく今週は「真面目に」頑張るしかないのです。
NHK大河ドラマは、20年ほど前まではよく見ていたと記憶しているのですが、最近はとんと見る事が少なくなりました。そんな中、今年の大河ドラマは私の大好きな仲間由紀恵が出ていることもあって、けっこう見ています。
今日は、仲間由紀恵扮する千代と一豊が娘よねを地震で失うという話。
親と幼い子供は、永遠の別れが突然来るなんてことを考えずに日々生きています。朝、子供が悪いことをしたら叱ったまま別れることもあります。夜も「疲れているから」と子供を冷たくあしらって寝ることもあります。それは、次に顔を合わすことができるという確信があるから、その時はそういう態度がとれるのです。
それが、突然の天災、突然の事故、突然の事件に巻き込まれて、二度と子供に会うことも話すこともできなくなったら・・・。
親の悲しみは「この世の悲しみ」というくらい大きなもので、なぜあんな態度をとってしまったのか、なぜ守れなかったのかという、悲しみと後悔と自責の念に苛まれるのです。
今日は、あの事故の女児の葬儀・告別式がありました。
父親の読む報道陣へのコメントは立派なものでした。私だったら、もっと情けない言葉を発し、情けない態度を見せてしまうでしょう。
今日も、全国で事故で何人もの方がなくなっています。
ひとつの命でさえ「この世の悲しみ」があり多くの涙がある、ということをいろんな人が自分のことのように感じ取ることができれば、愚かなな争いや正当化した人殺しなどなくなると思いたいです。
感動の涙はいくらでも流したいですが、悲しみの涙はあまり流したくありません。しかし、悲しみの涙を流さなければ人間は人の悲しみを理解できないというのも真実です。だから、日々の悲しい出来事を目を伏せて流してしまわないで、当事者にとっては「この世の悲しみ」なのだということを誰もが共有し得ることが大事なんだと思います。
ドラマやニュースでそういうことを心に滲み込ませたあとは、周りを陽気にさせるお笑い好きのチョイ悪オヤジに戻りましょう。

今日は暑い日でした。本来今日は休日なのですが、やり残した仕事があったのであまり冷房の効かない会社で仕事をしていました。
帰宅してシャワーを浴びてのんびりしていたら、外からドーン、ドーンという音が聞こえてきます。今日はいろんなところで花火を打ち上げているようです。さっそく末娘と自宅の屋上(三階建ての屋上ですので、けっこう見晴らしはいいです)に行ってみました。
ちょうど家の斜め右前の方向に遠くと近くで花火の輪が見えます。
「おとうさん、うしろも!」
末娘の声でうしろを振り向くと、家の後方方面の遠くにも花火が見えます。どうやらウチの屋上から見える範囲だけでも3ヶ所で花火大会をしているようです。それとは別に、近くの空き地からは個人があげるロケット花火が時折見えたりします。
夜8時。この時間になると風も涼しくて、しばらく末娘とあっち向いたりこっち向いたりしてそんな花火を楽しんでいました。やっぱり暑い日の夜の花火というのは季節を感じてとてもいいものです。台風の時のことなども考えて屋上にはテーブルや椅子は置いていないのですが、こういう時には椅子に座ってビールでも飲みながらのんびりと花火やささやかな夜景を眺めていたいと思いました。
そのうち、
「あ、流れ星だ!」
と、末娘が叫びました。
「おとうさんは見えなかったなぁ?。」
「流れ星を見たら三回お願いを言おうと思っていたのに。」
「何をお願いしようと思っていたの?」
「ラブラブなお願いだから、言わない。」
「なんだ、ラブラブというのは?」
「○○君のお嫁さんになりたいってこと!」
「そんなこと願わなくていい。これからもっといい人に会う。」
「ふーーん。じゃあ、宝くじに当たりますように!」
あらら、純粋な子供の願いを否定したら、現実的な子供らしくない願いになってしまいました。どうも男親は娘の男に対しては、拒否反応を示してしまうようです。たとえまだ小学校一年生だとしても。
私の好きな夏の夜のひととき。
私の頭の中には最近おかしな虫が棲みついているようです。
なかなか顔を見ても名前を思い出せない。
自分でやった仕事の内容をしばらくしたら忘れている。
映画のタイトルや作家の名前を覚えられない。
ケンカの時に言った言動を覚えていない。
会話の途中で話題にしようとしたことを忘れてしまう。
さすがに昨日の夕食は何だったか、とか
数分前の自分の行動が思い出せない、とかいうことはありませんが、どうも最近頭の中のスポンジの吸水力が落ちてきたのは確かのようです。
昔覚えた、
スイヘイリーベボクノフネ
フジサンロクニオームナク
ヒトナミニオゴレヤ
ダルマサンガコロンダ
ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレカイジャリスイギョノスイギョウマツ・・・
とかいう呪文は覚えていますし、現代では「約3」としか教えない円周率も今でも
3.14159265358
までは、ソラで言えます。
鉄人28号の歌も、風のフジ丸の歌も、ゼロ戦はやとの歌も、怪傑ハリマオの歌もちゃんと今でも歌えます。冒険ガボテン島、妖怪人間ベムも聞かせましょうか?
こういう記憶は、スポンジの中に固着して一体化していて忘れないのでしょう。しかし、今覚えようすることがまったくダメになってしまっています。これは、最近発見された、白くて四角くてかすかに甘い匂いを出す、「ケシゴムシ」という虫が原因なのです。
今日もその「ケシゴムシ」が悪さをして、レンタルサーバーの契約で大事な手続きを忘れてしまっていて大変なことになりそうでした。私は何も悪くないのにですよ。原因はその記憶を消してしまった憎っくき「ケシゴムシ」なのです。
ほら、あなたもこの「ケシゴムシ」の存在を感じたことがあるでしょう。きっとあるはずです。
あなたのそのフサフサ黒髪頭の中、バーコード頭の中、光り輝くみごとな頭の中にも「ケシゴムシ」は必ず一匹はいるはずです。いるのですよ。
「ケシゴムシ、そのまま放って置くと、大変なことになりますよ!」
このブログのタイトルは「晴○たり○ったり」となっていますが、なぜこの名前にしたかと言いますと、「オヤジ(?)心は秋の空」と世間でよくいわれるように、昨日は無邪気にはしゃいでいたと思ったら、今日は何やら難しい顔をして眉をひそめているといった習性をあらわしたかったからです。
まぁまぁの名前かなと思ったのですが、先日会社の友人にこのブログを教えることになって、なんとありきたりの名前だったのかということを痛感しました。
教えるときにURLを覚えていなかったので、会社のパソコンで「晴○たり○ったり」でググッた(Googleで検索するということですよ)わけです。私の予測としましては、当然検索結果の1ページ目には出てくると思ったわけですよ。
ところが!
5ページまで行っても出てきません。おかしいなぁ?と思って検索結果をあらためて見たら、ヒットしたのは約20万件以上。ありゃーーー、なんと平凡な名前をつけてしまったのかということを、その時に初めて悟りました。冷静に考えてみれば、この言葉は人間の普段の気分を表す時にはよく使う言葉です。当然といえば当然の結果です。しかもパソコンゲームにこの名前のシリーズがあるのは致命的。これだけでけっこう検索数が増えます。
ブログタイトルも、同じことばをよくもこれだけたくさん使っているものだと思うくらいの数。今でも「晴○たり○ったり」という名前は好きなのですが、この結果を見れば、完全に独自性を保つことに失敗してしまっているといわざるを得ません。かといって、今ここでタイトルを変えるのも敗北を認めたような感じで、私の負けず嫌いの性格と生き方に反してしまいます。
では、どうするのか!
この海岸の砂浜の中の砂粒状態から脱するためには、石ころになり岩になりテトラポットになるしかありません。つまり、「晴○たり○ったり」でググれば、私のブログが1ページ目に、いやトップに出てくるようにするということです。そうなれば、人に教えるときにも、「私のブログは、『晴○たり○ったり』でググれば、最初に出てくるから」と胸を張って言えるのです。
今に見ていろグーグル!
待っていろ、星の数ほどのつまらん「晴○たり○ったり」!
一番目立つブログになってやる!
「あのね、K○○○さん。」
「え?何?」 (ぶつぶつ言いながらページをまだめくっている私)
「そこまで力まなくても、『晴○たり○ったり K○○○』でググれば、すぐに見つかるんじゃないですか?」
「はぁ!?」
(私、ページを見るのをやめて、動揺を隠してそれでググってみる)
おーーー!!!!!、感動のオンリーワン!!!!
曇っていたオヤジの心がスカッと晴れた瞬間でした。
「なぜ事故は起きたのか」
何か起きればいつもくりかえされる言葉。
なぜもどうしてもくそも無い。
役割と責任を果たすべき人間が、それを果たさないからだ。
ただ、それだけだ。
ただ、それだけ。
単純なことなのに、最近それができない人間や組織が多すぎる。
そして、そのために犠牲になるのはいつも何もしらない弱い人たち。
「なぜ事故は起きたのか」
個々の事故の責任を問うことよりも、みんなが自分と自分のいる組織の役割と責任は何かをよく考えよう。
その方が確実に、悲しい出来事は減っていく。
きっと減っていく。